この仕事をしていると様々な親子関係を見ることになります。
仲のいい親子、会話が少ない親子、子供が委縮している親子、本当に千差万別です。
他所様の親子関係を一塾関係者がああだこうだと言うのは気が憚られますが、あくまで大学受験という視点から見た適切な親子関係について書いていこうと思います。
子供の成長以上に親も成長しなくてはならない
これは私の持論ですが、親子関係には相手をどのような人称で見るかが大きく関わってきます。
第一に、世のお母さまお父様方にお伝えしなくてはならないのは、大変心苦しいのですが多くの子供は親を「親」という生き物だと思っています。
家族のためにお金を稼いでくるのは当たり前。
毎日ご飯を作ってくれるのは当たり前。
家の掃除、洗濯をしてくれるのは当たり前。
雨の日に送り迎えをしてくれるのは当たり前。
自分がつらい時に味方になってくれるのは当たり前。
これらの全てに対して、そういう生き物なのだからしてくれて当たり前だと考えています。
そこに、親も一人の人間で喜怒哀楽といった感情がある事や、悩んだり苦しんだり、疲れて動けなくなることもあるといった親の事情に対する配慮は基本的にありません。
それどころか、時には失敗をしてしまう親に対して怒りを覚えてしまうこともあります。
ただ安心していただきたいのは、一生そのままというわけではありません。
いずれ子供が大人になり、一人暮らしを始めたり、仕事をしたり、家庭を持つようになる過程で、親がしてきてくれたことが当たり前の事なんかではなかったと気づきます。
それまでは世の親御さんたちは我慢しなくてはなりません。
・子供は親を2人称で見て、親は子供を1人称で見る
さて、人称の話に入ります。
多くの場合、親は幼少期の子供を1人称で見ることが多いです。
特に母親は文字通り一心同体の状態で1年弱という期間を過ごしてきたわけですから、正に「わたし」の分身として、子供に自分を重ね合わせるように愛情を注ぎます。
反対に子供にとって親とはこの世で初めて触れ合う2人称の人物です。
子供は生まれた瞬間から親を2人称で見ています。ここでいう2人称とは「自分ではない大切なあなた」です。
幼少期のこの時期に親から深い愛情を受けることで、子供は他者全般に対する信頼感を獲得し、そのことから生涯にわたって好影響を享受します。
ここまではほとんどの親子が同じような関係を築きます。
ところが、子供が小学生になるあたりから少しずつ変化が現れます。
学校という家の外の世界と交流を持つことで、子供自身がその活動圏をどんどんと広げるようになるからです。
子供たちは毎日のように様々な「初めて」を経験し、できる事が格段に増えていきます。
それは子供たちにとってわくわくする冒険であり、何よりも楽しいことです。
その過程を通して子供たちは少しずつ親離れをします。
ただ、この子供の急激な成長に対して親が対応しきれない場合があります。
親にとって子供はとても大切な1人称の「わたし」です。
その「わたし」が自分のあずかり知らぬ所で何やら楽しそうにしたり、悩んだり、悲しんだり、やっぱり楽しんだりしている。
当然ながら親はその内容を知りたがります。
何といっても「わたし」のことですから。
子供の喜びや悲しみは「わたし」の喜びや悲しみでもあるのです。
小学3,4年生くらいまでなら感じていることや、考えていることをすべて親に話してくれると思います。
今日は学校でこんなことがあったとか、○○君がこんなことをしてたとか、○○ちゃんにこんなことをされたとか、子供の目線から見た様々な報告を提供してくれるでしょう。
ただ、これが高学年になってくると、少しずつ親に隠し事をするようになってきます。
子供にとっては親は2人称の「あなた」であって「わたし」ではありませんから、全てを親が知っている必要はないのです。
ここが親子関係の転換点になります。
子供は「わたし」ではないということを親は認めなくてはならないのです。
親子関係がぎくしゃくしたり、子供に主体性がなかったり、もはや関係改善が絶望的な親子というのは、いつまでも親が子供を1人称で見続けているご家庭に多いと感じます。
そして、そのような親子関係にある子供は受験で不利な戦いを強いられることになります。
子供からしてみれば「わたし」ではない「あなた」が何故「わたし」の事をすべて把握しようとするのか、それは横暴だと感じるのも当然です。
子供は親からどんどん離れようとする、しかし親は子供を放そうとしない。
そうなれば、毎日のように親子喧嘩が勃発し、親子関係はどんどん悪くなってしまいます。
家庭内での不和があると子供はなかなか勉強に集中することができないため受験には不利となります。
反対に、子供が反抗することを諦めてしまう場合もあります。
この人に何を言っても無駄だから、何か言っても怒らせるだけだからと、親の管理下に入ることを受け入れてしまうのです。
そうすると子供の主体性という物が一気に失われます。
私が面談をさせていただく際にも、子供への質問すべてに親が答える時にはこの状態が疑われます。
子供自身が何かを話そうとしても、すぐさま親が会話を乗っ取ってしまっていては子供も話す気がなくなります。
自分から何かをしようという主体性がなくなれば、どれだけ長時間勉強をしようと学力が飛躍的に伸びることはありません。受験は不利になります。
また、そのような状態がいつまでも続けば関係修復が不可能な事態が起きてしまします。
子供が親と物理的に距離をとるような状態です。
家出をしたり、非行に走ったり、部屋に引きこもったり、命を絶ったりといった最悪のケースも起こりえます。
そうなれば受験どころの話ではありません。
・子供は親を2人称で見て、親も子供を2人称で見る
私が受験において最も理想的だと感じる親子関係というのは親と子供が「大切なあなた」として互いを認識している状態です。
子供が親のことを世界で最も信頼できる「あなた」として認識し、親もまた子供を自分とは違う大切な「あなた」として尊重する関係です。
そうなるためには、心も体もどんどん成長していく子供と一緒に親も成長していく必要があるのです。
この関係性の親子は受験において非常に強い戦い方をします。
親子の意思疎通が非常に円滑であり、親は子供の求めるサポートを適切に提供します。
子供もまた、大切な親の為に頑張ろうという思いが強く、最後の最後まで全力で勉強に励みます。
そして合格を勝ち取った時には見てるこっちが泣けてくるくらいの非常に感動的な光景を描き出してくれます。
もちろん志望校に合格する確率も非常に高いのがこの関係性の親子です。
最後に他の人称パターンの親子関係も提示しておきます。
・子供は親を3人称で見て、親は子供を2人称で見るパターン
ここでいう3人称というのは「一人の人間」です。
このパターンは非常に安定した素敵な関係で、子供が大人になってからこの関係に落ち着くことが多いと思います。
なぜなら、子供が親を3人称で見るためにはある種の「赦し」のような考え方が必要であり、そのためには子供が成熟する必要があるからです。
子供にとって親というのは成長するにつれてどんどん小さな存在になっていきます。
小さい頃は何でも知ってて、何でもできて、スーパーマンだと思っていた親が、実はどこにでもいる平凡な人間だったと気づいた時の子供は大きなショックを受けます。
特別ではない親の子である自分もまた特別ではないという現実を突きつけられるのです。
子供はそれを裏切りだと感じ、親に対して怒りであったり失望を覚えます。
親の小さな失敗一つに過剰に反応をして、感情を露にします。
もちろんお門違いもいいところで横暴としか言いようのないですが、子供にはそんなことは関係ありません。
うちの親はこういうところが分かってないとか、偉そうにものを言うくせに自分はどうなんだとか、ある事ない事文句をつけます。
しかし、子供自身も家の外で様々なことを経験する中で、親という存在を更に客観的に眺めることができるくらいに成熟してくると考え方に変化が見られるようになります。
親もまた一人の人間であり悩み苦しんでいたのだ、親だって子供を育てるのは初めての経験で、どうすればいいのか分からず、多くの失敗をする中で彼らが考える最善を尽くしてくれていたのだという思考に辿り着きます。
この時、親の失敗を「赦す」ようになるのです。
先にも書きました通り、子供が大人になって成熟してからこの関係に至るケースが多いのですが、まれに高校生のお子さんでもこのように親を見ている子もいます。
私が見てきた中では、この関係性の親子は皆様安定した良好な関係を築いていらっしゃいました。
特にお子さんの親に対する親愛が他の関係性に比べて深いように感じます。
受験においても素晴らしい結果を勝ち取られるお子さんばかりでした。
・子供は親を3人称で見て、親は子供を1人称で見るパターン
この関係性は非常に珍しいですが、稀にお見掛けします。
この関係性においては子供は強い独立心を持つ傾向があります。
親に反抗心などは持たず、うちの親はこういう人なのでといった感じでその関係性を受け入れますが、親に支配されているようなこともありません。
上記の主体性が失われる関係性と決定的に違うのはこの支配されないという点です。
あくまでも親は変わらないということを受け入れ、そのことを「赦し」、その上で非常にドライに親を見ます。
親が干渉をしてきても、お好きにどうぞ、自分も好きにしますのでと言わんばかりにあしらいます。
親から離れようとするのではなく、すでに離れているのです。
親御さんから見ると我が子が何を考えているのか分からず不安になられることがありますが、受験においては独立心が有利に働き良い結果を得る傾向にあります。
・子供が親を1人称で見ることと、親が子供を3人称で見ることはあり得ない
子供が親を1人称で見ることはあり得ません。
子供にとって親はあくまでも「自分とは違う他者」であり、2人称か3人称のどちらかで親を見ています。
また、親が子供を3人称で見ることもあり得ません。
私がお会いしてきた親御さんはどのような関係性であろうと皆様子供を大切に考えていらっしゃいます。
だからこそ、一人の人間として客観的に見ることはどうしても難しいようです。
むしろ子供を完全に3人称として見ることができる親がいるとしたら、それはそれで危険を感じてしまいます。
よくお父様で子供を非常にドライに見られる方もいらっしゃいますが、そのような方も子供を3人称で見ていることはあり得ません。
そもそも、わざわざお子様の塾まで足を運んでいただいている時点であふれ出す愛情が丸見えです。
そういうお父様に限って、お子様が一生懸命勉強していることや模試で良い点を取ったことをお話しすると、にんまり嬉しそうな顔をなさいます。
そんな時は大変失礼ながら強面のお父様も可愛らしく見えてしまいます。これがツンデレというやつでしょうか。
気づいたら非常に長い文章になってしまいましたが、この仕事を通して様々な親子を見てきた私が感じることをそのままお伝えいたしました。
皆様の参考になるかどうかはわかりませんが、少しでもお役に立てばと思います。